1泊2日 沖縄の旅 2005年11月15日〜16日 


■初の沖縄訪問
 私は大学で歴史学科に所属している。そして私の大学では珍しい事に、必修の授業で中学・高校の修学旅行ならぬ 研修旅行というものがあるのだ。それはゼミ事の単位で行くのだが、私のゼミは現代史の研究をしており、戦中、戦後と 激動の時代を駆け抜けてきた沖縄へ行く事になった。私自身、沖縄は未知の世界であり非常に楽しみであった。

 しかし私は現在就職活動中で、たまたま沖縄旅行の時に面接がかぶってしまったのだ。そこで教授に頼み、途中参加、 早退という異例の措置をしてもらい、私は沖縄へ行く事になった。おかげでキャンセル料などの出費はかなりかかってしまっ たが、今振り返ってみて本当に行って良かったと実感する。それほどに魅力のある島であり、観光地である。

 私は北海道出身なだけに、余計に沖縄は異国と感じる。建物や食べ物、伝統など何から何までが日本とは思えなかった。

前置きが長くなってしまったが、とりあえず11月15日の午後の便で羽田空港を離陸して、夕方に那覇空港に到着したところ から今回の旅日記をスタートさせる。短い旅行ではあるが、沖縄の魅力をたっぷりと味わっていただきたい!
■沖縄到着!!
 羽田からJAL便で約3時間、午後6時すぎに沖縄の那覇空港へ到着した。沖縄までは結構遠いもんだ・・。

 さて気温はやはり高く、東京から来た格好では相当に暑いので上着を脱ぐ。ゼミの他のメンバーはすでに沖縄入りしている ために、遅れてきた教授と行動を共にする。教授についていくままに、まずは「ゆいレール」に乗車する事に。

めんそ〜れ!那覇空港!

初乗車!ゆいレール!

 ゆいレールは意外にも2両しかなく、それでも結構空いていた。那覇市内に入るとさすがに車内は満員になる。 それにしても沖縄は変わった地名が本当に多い。それは北海道も同じであるが、沖縄も相当琉球の名残が残っているようだ。

 まず私はゼミのみんなが待っているレストランへ向かう。そこは儀保(ぎぼ)と呼ばれるまたちょっと変わった場所で、 ゆいレールを下車する。駅を出ると車の交通量が多かったので、意外に都会であった。

儀保って変わった地名だね・・

儀保駅

 儀保駅から10分ほどのレストランでようやくみんなと合流。高級な料理を教授とその知人の方におごっていただく。イタリア料理 であったが、沖縄初日の夜から本当に豪勢な旅だ。

 レストランを21時すぎに出てホテルへ向かう。ここでちょっと感動したのは、儀保駅から見える首里城のライトアップだ。これには みんなカメラや携帯を片手に撮影をしていた。

 今回宿泊するホテルは「南西観光ホテル」で最寄り駅はゆいレールの牧志で、駅から 徒歩1分といわずもう目の前であった。ここも那覇市内で、夜はかなり賑わう。ただ高校生など、バイクに乗って騒ぐ若者などが多かった のが少し残念である。夜に一人でふらりと散歩をしようと思ったが、物騒なために中止となった。

首里城のライトアップ

牧志駅前

■早朝の首里城散歩
 この夜に緊急事態発生!!なんとかねてより応募していたアナウンサー採用試験の結果が通り、翌日に東京に戻らないといけない事態 になってしまった。いったいなんのために沖縄までやってきたのだろう・・。結果が不採用となった今だからこそ書ける事で、これが ちょっぴり後悔するはめに・・。

 とりあえずもう明日には東京に戻るわけなので、沖縄で眠るのはもったいない。明朝の出発予定時刻は9時!6時に起床して、一人 首里城へと向かう決心をする。この夜はみんなと飲み会で盛り上がり、結局ベッドに入ったのは早朝5時・・。1時間ほど仮眠を取り、 一人起き、さっそく首里城へ出発だ!

 まずは牧志駅からゆいレールで終点の首里へと進む。もう6時半すぎになろうとしているのに、沖縄の空はまだ真っ暗だ・・。これが 時差というものかと感じつつ首里の駅に降り立つ。乗客は平日にもかかわらず皆無に等しかった。

牧志駅ホーム

首里駅構内

 首里駅に着いたものの、この土地に関しては全くの初心者。看板だけを頼りに首里城へと進む事にした。それにしても街並みが やっぱり日本とは思えない感じを受ける。これは北海道もそうであるが、ずいぶん遠いところまで来たな〜と実感した。

頼りの看板

沖縄の街並み

 首里駅から歩いて10分もかからないうちに首里城への入り口が見えてきた。その入り口を抜けて首里城への道を歩いていると、ついに 天守閣?らしき建物をキャッチする事に成功した。時刻は7時を回っており、ようやく明るくなってきた。

 続いては「円覚寺跡」という建物を発見!!なぜ円覚寺なのかはわからなかったが、とりあえず建物の構造からいって 首里城の一パーツである事は間違いない。

ズームで捉えた首里城天主

円覚寺跡

 その円覚寺の向かいには、堀の水の中に浮かぶ小さな建物があった。これも建物の構造からいって首里城のものであろう。こちらは なかなか芸術的な雰囲気が漂っている。ちょっと早朝の薄暗さで不気味な面はあったが・・。

堀の中に建物が!?

ちょっと不気味な構造だ

■首里城
 やはりここはかつて琉球王国だけあって、まったく日本とは異なる。それを城が象徴してくれた。まるで外国にいるような気分である。 この石造りの壮大な外壁は日本の城の石垣とは異なる。

 ところが!まだ早朝のために首里城の本殿までは入る事が出来なかった・・。という事で、外壁だけの辛抱にしましょう。次回来るとき はしっかり中まで見よう!まぁ楽しみが増えたからいいか。

壮大な首里城外壁

残念ながら中には入れず・・

 首里城の中に入れず、まるで琉球王国の一般庶民のような気分であるが、とりあえず周りで見れるところは見ておこう。まずは守礼門 である。これは首里城の入り口にあたり、まさしく首里城の象徴といっても過言ではないかもしれない。早朝のためにほとんど人はなく、 わずかな老人が散歩している様子などはまるで函館の五稜郭公園を思い出す。

 函館を思えばずいぶんと遠くまで来たなぁ〜。北海道とは異次元の世界だもんな。

 ふと首里城の総合案内所が見えたので入ってみる。もちろん営業前で閑散としてはいたが・・。

首里城守礼門

首里城総合案内所

■一旦ホテルへ
 とりあえず首里城にはこれ以上は入れないので、仕方がなくホテルへと戻る事にした。途中の帰り道で那覇市を一望出来る公園を発見! さっそく那覇市を眺めてみるが、相当大きな規模の街である事がわかる。人口は30万くらいでそこまで多くないのだが、街の規模の 大きさに驚く。

首里城の近くの公園

那覇市を見渡せる

 その公園の帰り道は住宅街を抜けて首里駅へと戻るわけだが、やはり住宅街もなんというかアメリカチックな建物で雰囲気が本土とは 異なる。首里駅へ戻る途中に琉球銀行も発見!記念に撮影しておく(笑)

那覇市の住宅街

琉球銀行

 ホテルへ戻る前になんとしても首里城本殿の写真を収めようと奮闘する!奮闘のおかげで なんとか首里駅から出発したモノレールの車内から撮影に成功した。 ふ〜、これで後悔もなし(笑)

首里駅前

ギリギリ首里城をカメラに・・

■幸地腹門中墓
 ホテルに戻ったのは午前8時すぎだ。その後朝食バイキングを食べて、さっそく今日の本出発をする。 合計2台のタクシーとマイクロバスを借りて、これからはゼミのメンバーと行動する事になる。

 まず最初に到着した場所は、幸地腹門中墓である。ここは沖縄の普通のお墓なのだが、一つのお墓には親戚一同入るらしく、相当 大きな規模になっていた。まぁじっくり見る観光地ではないが、沖縄の文化を勉強する上では有効な場所になるだろう。なにせ私たちは 大学のゼミ研修で来ているのだから。それを忘れてはいけない。

沖縄風の朝食

幸地腹門中墓

■糸洲の壕
 続いて案内されたのは、何もないサトウキビ畑。え?なんでこんなところで?一同少し困惑気味であったが、こここそ沖縄の貴重な 歴史遺産が残る場所なのだ。

 60年前、この地下にはガマと呼ばれる防空壕があった。そしてアメリカ兵が上陸してきて、このガマに手榴弾や火炎放射機を放ち 大勢の住民が犠牲になったという。なんとも痛々しいリアルな場所だ。北海道生まれの私にとっては、実際に戦争跡地に触れる機会は 少なかった。それだけに目の前に広がる静かな洞窟から感じる胸の熱い鼓動は、今まで経験した事がない。私たちの会話も一気に 減ったのも、それをあらわしているであろう。

 ふとタクシーの運転手が語り始める。自分の母親が米軍の攻撃から逃れるために防空壕に入っていた。そんな時に米軍兵に見つかり、 スピーカーで投降を求められたという。防空壕の中には母親の他にも多くの近所の人がいたらしい。しかし当時の日本人はアメリカ軍に 投降するのはタブーとされていた。しかしそのタクシー運転手の母親は自分の事よりも、今おぶっている子供の事を考え単身外に出て 米軍に投降したのだ。結局、投降しなかった防空壕の中の人は火炎放射器で焼け死んだという・・。「もし母親が投降しなければ、私は 今タクシー運転手をしていなかった。」この言葉は本当に重みがある。

糸洲の壕入り口

全く当時のまま残る

■ひめゆりの悲劇
 なんとなく予兆は感じていた。次に訪れる「ひめゆりの塔」と「ひめゆり平和記念資料館」に着いた時には平静を装えないだろうと。 まずマイクロバスがひめゆり公園に到着。私は入り口の横にあった1本200円の献花用の花が売られている店に自然と足を運んだ。 私につられるように他のメンバーも皆花をしっかりと買っていた。そして「ひめゆりの塔」の前に着いて、さっそく手を合わせて献花する。

 私は心の中でこうつぶやいた。「初めまして、ひめゆりの皆さん。皆さんの必死の努力、国のために行ってきた奉仕活動のおかげで 今の平和な日本があり、そして今の私がいます。せめて一度直接皆さんにお礼を述べたく、本土よりやってまいりました。皆さんの平和を 願う気持ち、決して無駄にはしない覚悟です。ありがとうございました。そして安らかにお眠りください。」と。

ひめゆりの塔

献花台

 続いては「ひめゆり平和記念資料館」へと入る。ここにはひめゆり学徒達の写真が多く展示されている。これには本当に見ていて 胸が苦しい。とても楽しそうで、とても笑顔。20歳前後の青春を過ごしている普通の女の子たち。その後に待っている悲惨な歴史を 知らずに・・。

 それだけでさえ胸が痛いというのに、最後のフロアではついに我慢が出来なくなった。壁一面にひめゆり学徒の写真が一人一人飾られて いる。そしてその写真の側には一人一人の性格が書かれていた。「とてもサバサバした子で、好き嫌いがはっきりしていた。」「控えめ でとても清楚、読書を好んでいた。」「人をまとめるのがうまく、いつも仲間のリーダーであった。」今の子でも普通に当てはまるようで、 彼女たちをとても身近に感じられた。しかし、ただ一つ今と違うところがある。その続きだ。「その後、手榴弾を浴び死亡。」「米兵に 撃たれて死亡。」・・。私はもうこの空間にいられなくなり一人外に出た。なんと太陽がまぶしい事か。なんと明るい世界が広がっていた 事か。彼女たちにもこんな美しい世界を見せてあげたかった・・。こんな気持ちがあふれ出ていた。

ひめゆり平和記念資料館入り口

資料館内にあった中庭

■平和への願い
 ひめゆりを出た後は、沖縄平和記念公園へとやってきた。先ほどのひめゆりがよっぽど重かったのか、車内の会話はほとんど なくなっていた。どうやらここの沖縄平和記念公園が沖縄本島の南限で、ここにたどり着いた住民は皆自害したという。

 そんな重い歴史を持った公園であるが、着いた時には晴れ渡る青い空、目の前に広がるオーシャンブルーが、私たちの雰囲気を少し 和らげた。この場所は沖縄サミットの時にクリントン元アメリカ大統領も訪れた場所であって、沖縄戦の戦没者の名前が刻まれた石碑 がずらりと並んでいた。聞くところによると、北海道から召集された兵隊が多いとの事。ぞくっとした。まさか私の地元の名前がここで 出てくるとは・・。北海道と沖縄の奇妙な接点がそこにはあった。

平和記念公園石碑1

平和記念公園石碑2

 この平和記念公園から見る海もまた美しい。60年前は血で染まるくらい悲劇な場所であったというが、今ではその面影が全くない。 どこか悲しく、しかしどこか強く海は輝いていた。平和を願っているのだろうか。

沖縄に大きな目印

平和記念公園より展望

 続いては沖縄平和記念資料館へと進んでいく。これは平和記念公園内にある建物で、沖縄の明治以降の歴史を勉強出来る博物館だ。 ここでも悲惨な戦争についてたくさん学んだ。是非沖縄に来たら訪れていただきたい場所である。我々はかれこれ1時間以上ここで 見学したと思う。それほどじっくり見たくなる展示物ばかりであった。それにしても沖縄の資料館はどこも大規模で、関東の博物館 とは比にならないくらい展示品もたくさんある。それだけ日本唯一の地上戦の記憶は重いものである。

沖縄平和記念資料館入り口

沖縄平和記念資料館

 さて一通り資料館を見終わった後は、展望台へと上ってみる。ここからは平和記念公園全体をを見渡せるらしい。ちょっと気になった のは空が曇ってきた事だ。まさか雨なんか降らないよな・・。

 展望台からの景色はなかなか美しい!意外と平和公園は広いんだなぁ〜と実感した。思えば、この海の向こうはもう中国大陸や台湾 だなんて・・。

展望台より海を

平和記念公園を見渡す

■沖縄料理
 時間を見れば13時を回っていた。さすがにお腹が空いたな〜。という事でみんなで沖縄料理店へ直行する事にした。場所は「沖縄 ワールド」の近くで、この辺りはサトウキビ畑ばかりでかなりの田舎。中に入ってみるとかなり広くアメリカのレストランみたいな 西部風である。驚いたのは地元の女子高生がたくさんいた事!どうやらランチとしても人気があるのかな。

 さて沖縄の料理は食べ方が本土とは異なる。まず大皿が出てきて、それを小皿で取り分ける中華料理式だ。なるほど〜、この辺に文化 の違いを感じる!まずお通しに出てきたのが、ゴーヤのサラダ!!さっそく試食・・。

 苦い・・。これは私の舌には合わなかった・・。

沖縄料理店

まずはゴーヤサラダ!

 みんなの前に小皿が配られる。そして小皿といってもご飯が入った茶碗だ。どうやらこれから注文するおかずをご飯の上にのっける という豪華な食べ方をするらしい。いや〜、これはちょっと楽しみです!

 最初は「ヘチマチャンプル!」お味は・・、おおお!うまい!ご飯とヘチマって意外に合うね!苦味もないし、うまく玉子の味に 溶け込んでいました。

 続いては「ラフティ」これは沖縄の方言であるが、標準語に直すと豚の角煮だそうだ。沖縄は豚料理が盛んなのはわかるが、果たして お味は・・、おおおおおおお!!!これはうますぎる!!マジでやばいです!!ご飯とピッタリ!!味付けが素晴らしいのでしょうね。 結局ラフティに感動して空港でお土産として買っていきました(笑)

ヘチマチャンプル

ラフティ

 どんどんいきましょう!続いては沖縄名物「ゴーヤチャンプル!」やはり、本場で食べるゴーヤチャンプルは違うね〜。先ほどのゴーヤ サラダとは違って苦味が全くなし!これには女子高生も思わず食べたくなるわな・・。

 そしてラストは「タコライス」お味は・・、もう文句なしです!!沖縄料理最高!!なんでこんなにおいしいのでしょうか。なおかつ 健康だし。沖縄の方の長寿の秘訣がわかったような気がする。ちなみにタコライスは意外に辛味がなかった。甘党の私としてはそこが 高ポイント!(笑)

ゴーヤチャンプル

タコライス

■ガラスボート
 結局沖縄料理はあれだけ食べて一人1000円くらいであった。こんなに安くて良いの!?と思うくらいだ。さて私も次の訪問地で 今回の沖縄の旅が終わってしまう・・。あっという間だったな〜。とりあえず最後の目的地であるガラスボートを乗りに、近くの 浜辺まで出て行く。

 いやいや海がなんてきれいなんだろう・・。こここそ沖縄に来た!と実感出来る場所である。ちょっと天候が曇っているのが残念で あるが、まぁ雨が降るよりは全然マシか。

 さてここではガラスボートに乗るわけであるが、ガラスボードとは船の底がガラス張りとなっていて、海底がのぞけるようになっている 船である。沖縄の海底の美しさは前から聞いてはいるが、実際に見れるのには非常に楽しみである。

 料金は一人1500円とちょっと高めであるが、沖縄でケチっていてもしょうがない。さっそく乗り込もう。

きれいな砂浜

これがガラスボート

 さっそく出航する!船の操縦士の人が一人で運転しながらいろいろ案内をしてくれた。さてさっそく海底の様子は・・。うん! さすが予想を裏切らない海底の美しさ!水が澄んでおります。

出航〜!

海底の美しさ!

 沖縄の海はしばらく浅瀬が続き、砂浜からしばらく進んできたところで来客者が!!なんと魚の群れが海底に見れるではないか! これには一同歓声を上げる。なかなか写真では伝わりにくいかもしれないが、大小様々なお魚たちが縦横無尽に海を泳いでいた。

 いや〜、最後にこんな感動的な画が見れて良かった〜!さらに驚いた事に、海底30メートルまではっきり肉眼で見える。晴れた日は もっと澄んでいるらしい。またまた楽しみが増えたね〜。沖縄!!!絶対また行きます!!!

海底の様子

魚がたくさん!

■那覇空港へ〜帰宅
 楽しかった沖縄旅行もこれで終わりである。本当にあっという間だったなぁ〜。とりあえず3泊4日の他のメンバーとはこの ガラスボートでお別れ!私はタクシーで単身、那覇空港へと戻る。帰りにタクシーの運転手と仲良くなり、名刺をいただく。沖縄に 知り合いが出来た気分だ。ここのガラスボートから那覇空港まではタクシーで1時間かかった。

 那覇空港に到着した時には急いでたのでゆっくり空港見学が出来なかった。今回は帰りのJAL便が離陸するまで1時間近くあるので、 お土産でも買いながらゆっくり空港見学でもしてみる。

 雰囲気的には新千歳空港に似ていた。中央に吹き抜けの大きなホールがあるところが特にそっくりだ。お土産ショップも新千歳空港 並にたくさん並んでいた。ここでは先ほど食べたラフティなどを購入(笑)

那覇空港出発ロビー

那覇空港メインホール

 今日は全日空がストライキのためにJAL便が相当混み合っているらしい。今日の朝に南西観光ホテル前のコンビ二でチケットを取っておい て良かった・・。空港内をフラフラしているうちにあっという間に離陸の時間は来て、私は一人東京に戻った。結局その後の採用試験は 残念ながら落ちてしまい、涙の呑む結果となってしまった・・。

ANAはストライキ

私の乗ったJAL便

■あとがき
 今回の沖縄の旅いかがだったでしょうか?1泊2日という本当に限られた時間ではありましたが、どんな1泊2日の旅行よりも充実 した内容になったと思います。睡眠時間は1時間の強行軍でしたから・・。

 やはり沖縄といえばメインは戦争と平和がテーマになります。この問題は答えのない非常に難しいものです。私も今回の沖縄の旅で このテーマについていろいろと考察しました。ひめゆりや平和記念公園での資料館で見た事、感じた事。

 しかし沖縄戦で苦しんだ方々の気持ちを考えると、私みたいなただの平和旅行者が彼らの事にあれこれ意見を述べる資格はないと 思いました。ですので、今回の日記では私的な意見は交えずに、ただ沖縄の旅であった事、聞いた事を全て事実として書きました。 事実こそが一番単純に沖縄の方の思いを代弁出来るのではないかと考えます。ただ一つ私が今回の旅の経験を通して言える事は、今私たち が普通に命の危険もなしに生活しているのは、とても幸せな事であると。これに尽きます。

 沖縄にはその他にも学ぶ事がたくさんありました。一番大きいのは文化の違いです。沖縄は明治以前までは日本国ではなかったのです。琉球王国 といういわば外国でした。そう考えると明治以降に開発された北海道とは似ている境遇ですね。ただ北海道出身の私からすれば、何から 何まで異なっていました。そのような部分も今回の旅日記で伝えるだけ伝えました。沖縄独特の文化を感じていただけると幸いです。

 今回の旅日記は北海道志向の強い当ホームページでは画期的なものになったと思います。これからも様々な土地を訪問して、この ホームページに新たな色を塗っていきたいと感じた今回の旅でした。

 最後までご覧になっていただき本当にありがとうございました。 管理人 KEI
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